tebikae

て‐びかえ【手控】 〘名〙 ①心おぼえに手許に控えておくこと。おぼえがき。また、それを書く手帳。[日国]

食べられる食べられない問題

食べられるか食べられないか、という問題に、最近よくぶつかる。

食っていけるいけないという経済事情の話ではなく、食うか食われるか!?というシビアな生存競争の話でもなく、食材や料理を食べても大丈夫かどうかの判断の話だ。

買ったばかりだったり賞味期限や消費期限内だったりするものはいい。臭いや見た目に異常がない限り食べる。傷んだり腐ったりしていて明らかに様子がおかしいものも難しくない。迷わず捨てる。

問題は、ほぼ確実に大丈夫なものと、絶対だめなものの、あいだのもの。

例えば、シチューは何日目まで食べられるのか?卵は賞味期限をどれくらい過ぎても大丈夫?昨日買ったおひたしは?

 

普段行くような飲食店では、食べてはいけない状態のものが出てくることはまずない。味の良し悪しはともかく、食中毒や肝炎その他の病気になるリスクは、ほとんど考えなくていいはずだ。実家でも、傷んでいるものは基本的に食卓に上がらなかったし、生焼けの危険があるものは母が誰よりも先に手をつけて「あっ、待って、まだだった!」とストップをかけていた。

だから、考えてみると、実家暮らしの頃は、食べられる/食べられないのジャッジを自分でする機会がとても少なかった。

さすがに出されたものを全部無条件に口に入れていたわけではなく、冷蔵庫の奥にあった粉チーズの賞味期限が1年以上前だった!!とか、ずっとかごに入っていたみかんを持ち上げたら裏側が緑と白のツートンカラー!!!!みたいな時は食べずに捨てていたけれど、賞味期限が明示されていない生野菜や自分で調理したものの限界の見極めについては、経験値が足りていない。実家を離れて初めて気が付いた。

 

母に「冷凍した肉ってどれくらい持つかな」とか「賞味期限1週間過ぎた納豆食べてもいいと思う?」とか訊くこともあるけれど(「わりと」とか「いいんじゃない?」みたいな答えしか返って来ない)、毎度訊くのも面倒だし、実物を見ないと何とも言えないだろうし、結局は自分で決めるしかない。当然だけれど。

ちょっとあやしげな食べ物の臭いを嗅いだり、おかしなところがないか凝視してみたり、あるいは少し舐めてみたりしていると、あ、いま、生き物だ、と思う。口に入れるものの状態を己の五感で確かめるというのは、生き物としてとても正しいことだという気がする。

よくエビとかウニとかホヤのような食材について、「初めに食べようと思った人はすごい」という話をするけれど、きっとそういう見た目に癖のあるものに限らない。大昔の人間たちは、他の動物の様子なんかを窺いつつ、おそるおそる口にしてみて、大丈夫だったり大丈夫じゃなかったりしながら、食べられるものを増やしてきたんだろう。

私は人体に害があるかどうか明らかになっていないものに挑んだりはしないので、先人たちの勇気や切実さ、緊張感には遠く及ばないけれど、そういう太古からの営みに参加している気分を少しだけ味わっている。

 

今のところの私のトライアンドエラーの結果はというと、シチューは食べきるのに3日かかったけど最後までおいしかったし、賞味期限を3日過ぎた卵を食べてみたけどお腹痛くなったりしなかった。おひたしも、2日目までは全然平気(※個人の感想です)。

ただひとつ、全然だめだったのはドレッシング。消費期限を2週間過ぎた胡麻ドレッシングは油粘土の臭いがして、口に入れた瞬間変な声が出た。古くなった油の威力、すごい。なんとなくドレッシングは腐らないものだと勝手に思っていたけど、油断大敵だった(油だけに)。