tebikae

て‐びかえ【手控】 〘名〙 ①心おぼえに手許に控えておくこと。おぼえがき。また、それを書く手帳。[日国]

猫は目がひかる

大人になると、大切なことを忘れてしまうという言説がある。あるいは失くしてしまう、とか。子供の頃は知っていた、あるいは持っていたものを、大人になるにつれて人は失ってしまうのだ、というような。

この「忘れる」はたぶん、物事を覚えたり常識を身に着けるのと引き換えにまわりの世界に対して新鮮に驚く力が弱まるというか、感受性が鈍ってしまうことの喩えであって、何か具体的な記憶や知識を失うということではない。

ユーミンが「小さい頃は神様がいて」とめちゃくちゃ詩的に表現したのもそういうことだと思うのだけれど、私たちが失うのは神様そのものではない。神様を感じ取るまなざしの方だ。キキがジジの言葉を理解できなくなってしまうのも、大人たちにトトロやネコバスが見えないのも、同じような話だと思う。

でも、子供の頃は知っていたのに、大人になると忘れてしまう知識というのも、あったのだ。そのことに気付かされる出来事が、二つ、立て続けにあった。

 

ひとつめは、ツイッターで誰かがリツイートしていた、フラッシュの反射で目が光って、ビームでも出しそうな猫の写真。

そういえば、猫の目が光ることを、ずいぶん長いこと忘れていた。小さい頃は、猫といえば目が光るもの、というくらいに自分の中で強く関連付けられていた情報だったのに。

小学校に上がる前だったと思う。実際に猫の目が光っているところを見たことがなく「猫の目は光る」という情報だけを知っていた私は、猫の目に過剰な期待を寄せていた。だって、私が脳裏に浮かべていたのはネコバスだ。もはやサーチライトだ。

何かのきっかけで「猫って目が光るんだよね」と母に言ったら、「そういうことじゃないよ」と笑われたのを、うっすらと覚えている。「電気みたいに光るんじゃなくて、反射するだけだよ」と教えられたことも。

でも、反射して光るというのがどういうことなのかよくわからなかった。だから、「猫の目が光る」というのは、それ以降もそのまま私の中でちょっとした伝説のようになっていた。

今に至るまで、私は猫の目が光っているところを見たことはない。なのに、いつの間にか、そのことをすっかり忘れていた。見たことがないまま膨らませていた想像も、そんな想像をしていたこと自体も、丸ごと忘れ去っていた。

誰にも何も文句を言わせない勢いで目がピカーンと光った猫の写真を見て、久し振りに思い出した。

 

ふたつめは、七夕の飾り。

先日、笹飾りについて絵を描いて説明する機会があったのだけれど、短冊のほかにどんなものを飾っていたのか、ほとんど思い出せなくて驚いた。たくさん折り紙を切った記憶がある。あ、そうそうなぜかスイカがあった。星…は、クリスマスか……?

小学生くらいまでは、毎年、いろんな飾りを作っていたはずなのに。小さな笹がいっぱいになっていたくらいなのだから、スイカと短冊だけで乗り切っていたわけでもあるまい。

幼稚園か学校で作って持ち帰ったこともあるけれど、祖母や母と一緒に作ったこともある気がする。彼女たちは自分の子供の頃に作ったものを、覚えていたんだろうか。思えば、幼い頃に教えてもらった遊びを、私はかなり忘れている気がする。子供が出来たら自然と思い出せるものなんだろうか。

 

忘れてたんだなあ、そして、忘れていたということにすら気が付いていなかったんだなあ。そういうこと、他にもあるんだろうなあ、と、思う。

それを忘れたくないかというと、ちょっとわからない。