tebikae

て‐びかえ【手控】 〘名〙 ①心おぼえに手許に控えておくこと。おぼえがき。また、それを書く手帳。[日国]

そのどうしようもないしかたなさを愛したい

ラ・ラ・ランドを見ました。いい映画でした。

gaga.ne.jp

一か月くらい前、図らずもアカデミー賞授賞式の日に観たんですが、今初めて公式サイトを開いて、絶妙な見づらさにおお…となっていますが、いい映画でした。

※以下、内容にめっちゃ触れます

オープニングの過剰なくらいポジティブでハッピーなムードに、これから何の話が始まるのか全くわかってないというのにとりあえず泣いて、途中あちこちで引っかかっては「あ~これは好き~~」と持ち直す、というのを何度か繰り返し、終盤のミアのオーディションの歌で「あ~~~」となって、ラスト、「あ~~~それはずるい~~~~~ずるいわ~~~~~~~」という抵抗もそこまでのもやもやも全部吹き飛ばされて、放心状態でエンドロールを見送りながら、いい映画だった…いい映画だった……とひたすら思っていた。

事前情報は出来るだけ入れないようにしていたのですが、「ラストがずるい」「そういうことするんだ…と思った」みたいな感想が結構目について、何か仕掛けがあるらしいということだけ察した状態で観に行ったせいで、ミアがセブだけに見えている幻だったり夢オチだったりしたらやだなあと気が気じゃありませんでした。違って本当によかったです。

ラストで全部ひっくり返す話が絶対に嫌かというとそうではないんですけど、この作品でそれをやられたくないな、と思ったんですよね。ミアとセブの物語を見守ったこの2時間くらいの私の気持ちをやり場のないものにしないでほしい…という気持ちが、物語が進むにつれてどんどん募っていって、終盤のあたりは、夢オチは嫌だ、夢オチは嫌だ……と組分け帽子をかぶった時のハリーの如く念じてました。いやあ、よかったよかった。

話題になった映画だけあって、賛否さまざまなレビューを見かけたんですけど、この作品を低く評価する人たちがこぞって「みんなは好きみたいだけど」「良いものだと思われているみたいだけど」という前提に立っていることがとても気になったんですよね。その注釈、要るのか?プラスにはたらくと思って書いているのか?って。だって「みんなが好きなものを批判する俺かっこいい」っていう態度が許されるのは中学生、どんなにがんばっても大学生までじゃないの?って、なんか、びっくりしてしまった。

私は「人とは違うものが好きな…俺……!(フッ)」みたいな時期を経て、色んなことが噛み合ってたくさんの人の愛を勝ち取った作品を「よかったねえ」って愛でることに幸せを感じるようになって、そのことを我ながら健全だなあと思っていたもので。
「流行ってるものがみんないいものだとは限らないけど、流行ってないものの方がかっこいいかというとそうでもない。でもとりあえず多くの人に愛されてるものにはそれなりの理由があるはずなのでそこには敬意を払いたいし、たくさんの人と好きなものを分かち合えると楽しい」くらいの感じ。
「俺の感性は人とは違うんだ…誰もわかってくれない…生きづらいぜ……」って思ってるよりも、その方がずっと楽だし楽しいよなー、って。まあ、これはあくまで一鑑賞者としての話なので、批評でごはんを食べている人が取るべき姿勢はまた違うのでしょうが。

それにしたって、人と違う感性、もっと言えば人より優れている感性を顕示するスタンスでいくのなら、「みんなは好きみたいだけど」って、他の人たちがどう評価しているかをめちゃくちゃ気にしている素振りなんて見せちゃだめですよね。そこには触れずに、淡々と、堂々と、批判すればいいじゃない。

「みんな大好き」な星野源も言ってるよ。

みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ

みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ

星野源/日常)

(私はこの2行めを言えるのが星野源のすごいところだと思っていて、そういうところが好きなんですけど、本題から逸れるのでとりあえず置いておきましょう)

なんか文句ばかりになってしまいますが、そもそもこの映画って、そんなに手放しで絶賛されているのか?というのも引っかかった。私がツイッターで見た限りでは、褒めている人たちも、「オープニングとエンディングがとにかく良くて、まんなからへんはちょっと停滞するし突っ込みどころもたくさんあるけど……全体的には、好き!」くらいの感じが多かったんだけどなあ。

思春期拗らせたような批判をちらっと見て「ん?!」って思った勢いでこんな文章を書きはじめたくせにアレなんですけど、この映画突っ込もうと思えばめちゃくちゃ突っ込みどころだらけじゃないですか。セブのバンド活動が軌道に乗り始めた時のミアの抗議(本当の夢を追いなさいよ的な)は普通すぎてちょっと気持ちが離れてしまったし、観客に酷評されていたはずのミアの一人芝居の何がそんなに評価されたのか映画を観ている私たちにはよくわからなかったし、オールドファッションなジャズはもうだめだと言われていたはずなのにセブの店はいい感じに繁盛しているしその理由は語られないし……って挙げていくと、あれ、私この映画ほんとうに好きなの?と自信がなくなってきてしまうくらいなのですが、それでもやっぱりトータルでは「よかった」「好き」としか言えない、なんだか不思議な映画だったんですよね。私にとっては。

いろいろ引っかかりつつも、全体としてそういう感想になったのは、たぶん、いたるところで言われているオープニングとエンディングとあともうひとつ、オーディションの曲の存在が大きかったんじゃないかなあ、と思う。

全体的にライトな曲が多い中で(一般的なミュージカルと違って、ここぞ!という時にあんまり歌わない映画でしたよね。心情を吐露するような歌がない)、オーディションのところはちょっと異質だった気がする。

あまりにもオープニングが良かったもので、「この映画、オープニングがピークだったらどうしよう……?」と不安になり始めていた私をぐっと引き寄せ直してくれたのがこの曲でした。

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成功をつかむほんの一歩手前に立ったミアが、ふと思いついたみたいに語り出す、真冬のセーヌ川に裸足で飛び込んだおばさんの話。

もうね、ぼろぼろ泣いてしまった。

見られる側に立つ者、表現者の業、みたいな話に、弱いんですよね。仙台までわざわざ観にいったキャバレーの表題曲も、そういう歌でした。

この歌にしても、いろいろ突っ込みどころはあるとは思う。だって、あの場面まで、演じることにミアがそこまでの切実さを持っていた感じはあまりしなかった。確かに頑張ってはいたけれど、ミアは女優にならなくても、カフェの店員だってそれなりに務まるし(オーディション受けるのをやめればもっとちゃんとした店員になったんじゃないでしょうか)、本人も一度そうしようとしたように、大学を出て普通の会社でもやっていくこともできたと思う。普段の言動だってそう。セーヌ川に裸足で飛び込んでしまうタイプには見えなかった。

ちょっと冷静になってきたら、あそこで急にアーティストぶりだした感じがしたかもしれない…でもまあミュージカルというのは得てしてご都合主義だしね……と、映画館の近くの喫茶店でやたらまん丸なオムライスを食べながら自分を納得させかけたのですが、帰りの電車でApple Musicに登録してサウンドトラックを聴き(便利な時代だ!)、メイキングの映像をいくつか見て、あ、違ったかも、と思った。

ミアはセーヌ川に飛び込めない人「だけど」あの歌は良かった、ではなく、「だからこそ」こんなに私の胸には迫ったんじゃないかな、と。

私はセッションも観てないし、監督のバックグラウンドも全然知らないんですけど、監督は、そういう狂気を持てる人への憧れみたいなものがあるのかもしれないな、と思ったんですよね。監督も、セーヌ川に飛び込めない側の人なんじゃないか、という気がした。こんな凝ったカメラワークを考えるような人は、狂人と紙一重の天才というタイプではない気がする。

周りにアマチュアオーケストラをやっている人とか、同人活動をしている人とかが多いので、プロとアマチュアのあいだにたゆたっている人たちについて考えることがままあるんですけど、アマチュアに話を広げるまでもなく、プロの中でも誰の目にも明らかなくらい圧倒的な才能を持った人なんて本当にごくわずかで、自分がそちら側ではないと分かっていながら、それでも表現の世界に身を置いてしまう、身を置かずにはいられない人たちが大多数なんじゃないかと思うんですよね。

……とだらだら考えていたひと月の間に公開された対談の中で、穂村弘さんが端的に「表現そのものは才能がなかったとしてもやめることができないから残酷なんだよね」とおっしゃってたんですけど(この対談スリリングで面白いのでぜひ読んでください)、

noahs-ark.click

オーディションの曲には、ひいてはこの映画には、そういう残酷さ、どうしようもなさへのまなざしが、あったのではないか。

そう、どうしようもない。どうしようもないな、って、観ている間何度も思ったんですよね。そういえば。

セーヌ川に裸足で飛び込んで、「また同じことをしてやる」と笑って言える人への憧れ、そこまで狂えはしないのに夢の世界に身を置こうとしてしまう自分への、ある種の絶望も、ずっと愛してる、と言える相手とは結婚することにならなかっためぐりあわせも、女優として成功する、自分のお店を持つ、というそれぞれの夢が、その夢を叶えるために一緒に戦ってきた相手がそばにいない状態で実現してしまうということも。

みんな、どうしようもなくて、やりきれない。そんな仕方なさに対する、突き放すとも憐れむともつかない監督のまなざしが、夢のような色彩とお洒落できれいな音楽にくるまれながらも確かにあって、それが私は好きだったのかな、というのがちょっと記憶が薄れつつある今の時点の感想です。

あ、あと、よかったなあと思ったのは、二人の恋がしっかり終わったところ。ずっと夢見てるみたいなこの映画の中でも最高にファンタジックなあの走馬灯は、すごく美しい恋の終わりの描き方だと思う。美しすぎて遣る瀬なかったけど。終わることなどないと希望を持たせてくれる話もいいけれど、ひとつの終わりをきちんと描いてくれる話も好きだな、と思った。

 

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20170227「LA LA LAND」@TOHOシネマズ新宿

追記:

ところで……せっかくだからいい音で観たいと思ってTOHOシネマズ新宿に行ったんですけど、あの劇場の周りの環境まじでやばいっすね!薄汚さが!!金管の高い音まで割れずにきれいに聴こえるドルビーアトモスの音響に包まれていたところから一変、最低な喧噪!!いや、逆にテンションが上がりましたけどね、「フゥ~~~ギャップが激しい~~~~!!!!」って。歩いてるとキャバクラやら相席居酒屋やらありとあらゆるキャッチに声掛けられるし、道にはゴミがいっぱい落ちてるし。わたしのラ・ラ・ランドはいずこ!!

虐殺器官」を観に来たときはそのディストピア感がマッチして良かったんですけどね。今後はなんかそういう殺伐とした映画を観る時にだけ来ることにしよう、と思いました。